第5回 史上最弱の男

『孫子』とか戦略について人前で話すような人間というのは、歴史上の人物でいえば諸葛孔明とか、現代でいえば経済誌に出てくるコンサルタントの方みたいに、知的でクールな雰囲気の持ち主なのかというと――もちろんそんなタイプもいるのでしょうが――こと筆者自身に関していえば、実はまったく逆なんです。

今から7~8年前、結婚前に神奈川の百合丘に住んでいたときのこと。駅のベンチで電車を待っていたときのこと、ヒョコヒョコと一羽の鳩が近づいてきたことがあったんです。

実は、そのとき駅のベンチで、本を読みながらパンを齧っていたんですが、下手にパンをあげて大量に集まってこられるのも嫌なので、無視していました。すると、想像だにしなかった惨劇が待ち構えていたのです。

ガシッガシッ……何か足先に鈍い衝撃があるなと思って、本から目をあげると、げーっ、鳩が僕の靴先を齧ってるじゃあーりませんか。お、おまえ、人間を襲うのか(笑)。 それにしても、平和の象徴のハトに襲われるのって、よほど邪悪な心の持ち主だということがハトにまでバレたのか、それとも、よっぽど弱そうに見えたのか、いずれにせよ、かなりがっくりしました。ま、おそらく後者だったんでしょうね。

で、しばらくして、今度は新百合ヶ丘駅前の広場を歩いていたときのことでした。 鳩の大群がいて、先日のことを思い出し、いやーな気分になっていたら、3~4歳の男の子が果敢に鳩の群れに突っ込んでいくじゃあーりませんか。逃げ惑う鳩、追い掛け回すお子ちゃん……

ああ、鳩の天敵はお子ちゃんなんだなーと得心しました。 しかーし、これ図にしてみますと、力関係としては、

3~4歳のお子ちゃん>鳩>自分 になっているわけです。

これは、大人として「史上最弱の男」かもしれないなーと思いつつ、とぼとぼと家路についた記憶があります……

そして現在、東京の文京区に引っ越してきて、これで天敵の鳩から開放されると思いきや、ある日、こんなことがあったのです。

講演の仕事があって、それなりにピシッと決めた格好で家を出たら、その途端、空から降ってくるものが……

「うげっ、鳩のフンが髪に」 しかも、電車の時間がぎりぎり、ど、どうしよう……。

結局、駅まで早足でいって、トイレで髪を洗って、講演に向かいました。ハト、おそるべし。いや、自分が弱過ぎるのでしょうね、きっと。こうなったら仕返しに、おフランス料理屋さんいって、ハトの丸焼き食べてやるー(笑)

しかーし、これで話はおわらないのです。ちなみに、ここに書いてあることは、すべて事実であり、誇張はいっさいないことをお断りしておきます。

今度は二年半ほど前の話。某大学図書館にこもって、ゲラの直しをやっていたときのことでした。 活字と睨めっこで、誤字脱字はないか、もっと良い表現ないかとやり続けて、目も脳みそも酷使してようやく終了。真っ白な灰状態で、出口にある休憩スペースに向かい、ペットボトルのお茶を飲んで、カバンにあった胚芽クラッカーでも食べようと封を開けたら……なんと、スズメが寄ってきたんです。

スズメが寄ってくるなんて普通じゃないかと、と言われそうですが、なんだかこれが普通じゃない。一般にすずめは警戒心が強く、おずおずと寄ってくるものではないですか。しかし、一羽は何の迷いもなく筆者の足元に、もう一羽はベンチの真横数センチの所に……

「なれなれしいスズメだなあ」 と思ってたら、そのうち一羽が僕の目の前30センチくらいな所で、ホバリングを始めたんです。で、どうみてもフレンドリーな感じではなくて、「おらおらクラッカーよこさんかい」って感じなんですねー。で、クラッカーのかけらあげたら、もう一匹もホバリングを始めて……

「げー、スズメにカツアゲされちゃった」 これはきっと、すずめが「こいつなら脅してOK」と思うほど、「オーラ皆無」「人としての威厳皆無」という事実をつきつけられているんでしょうね、やっぱり……(笑)

先ほどのハトの話と重ね合わせると、生物のヒエラルキーとしてはこうなるんです。

3~4歳のお子ちゃん>ハト>スズメ>自分(泣)  

いやはや、まさしく「史上最弱」の称号を十年くらい防衛できそうな情けないことになっているんですが、この経験を無理やり仕事の話にむすびつけると、こんな話になるんです。  

人って、歴史モノ読んだり、戦いのドラマを見たりすると、「強い者」「格好良い者」に感情移入したり、同化したりするわけです。任侠映画を観た人の歩き方が、健さんそっくりになるという笑い話もありますが、そんな感じですね。 ところが筆者の場合、「やられちゃう方」「最終的に破れちゃう間抜けな側」に感情移入することが結構あるんです。

なにせ、ハトにもスズメにもやられてしまうような人間なので(笑)、強い側、優れた側に無条件に感情移入して、「どうだ」「俺って凄いんだ」みたいに単純に思えないわけです。 そして、だからこそ見えてくる光景というのがあるんですね。  

たとえて言うなら、病気がちな人は、健康に恵まれた人よりも、一般に体の調子に関して繊細な理解力を備える、というのと同じこと。強さに同化しているだけでは見えないニュアンスが、弱さや愚かさに感情移入しているからこそ嗅ぎとれる場合があるわけです。 強さへのあこがれが戦略を志向させるが、強さに感情移入していては戦略に必要なニュアンスを見逃しかねない――ちょっと格好つけたことを書いてみて、スズメにも脅かされる自分の姿を何とか誤魔化し、終わりにしたいと思います(笑)

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